都幾山 慈光寺(じごうじ)

慈光寺は埼玉県比企郡の標高350メートル都幾山の中腹にある鄙びたお寺である。バスは平日は原則的として山の麓のバス停までしか行かないので、参拝するには標高差200メートル程度の山登りとなる。

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慈光寺の歴史

慈光寺は天台宗の国宝を持つ由緒ある寺院である。山号は都幾山。院号は一乗法華院。本尊は千手観音で、坂東三十三箇所第9番札所となっている。
慈光寺の歴史は飛鳥時代の西暦673年(年号は天武、白雉、白鳳と資料により異なる)に僧慈訓が都幾山に登り観音堂を建て千手観音を安置したことにより観音霊場となったことに始まる。その後、役小角が西蔵坊を設け修験道場を開いた。奈良時代の宝亀元年には鑑真和上の高弟であった道忠がお堂を建て慈光寺を創建した。道忠はその後も関東を中心に布教活動を行っている。
平安時代になると最澄が比叡山に天台宗を開くが、その際、道忠一門が最澄に協力して写経を行い多くの経典を奉納している。清和天皇から天台宗の別院として「一乗法華院」の勅額を賜り、天台宗の中心的な寺院となって行った。慈光寺の全盛期は室町時代で、都幾山に比叡山の延暦寺を思わせるような壮大な多くの寺院が建てられ、多くの修行僧や参拝客を集めた。
戦国時代になると世の中は荒れだし、慈光寺も延暦寺と同様に僧兵を雇い、近隣の武士達と争った。最後は太田道灌等によって焼き討ちにあい、寺院も衰退して行った。
江戸時代になると幕府から寺領百石が授けられ、それなりに栄えた寺院となっていた。

慈光寺の地図と行き方

住 所:埼玉県比企郡ときがわ町西平386
参拝するのが大変な寺院である。交通は不便で、バスの便も平日は通常は山の麓までしか行かないので、標高200メートルの登山をしなければならない。
山の上にもバス停はあったが土日だけのようである。しかし、デマンドバスを利用すれば山の上まで運行もしてくれるようである。
横浜から交通機関を利用して参拝するとなると一日仕事になるので、正月休みで帰ってきていた息子に自動車を運転させて参拝した。山の上にも2箇所ほど駐車場はあった。

慈光院の建物

開山塔の覆屋

山を登っていて最初に出会う建物である。建物の中に重要文化財に指定されている「慈光寺開山塔」がある。

慈光寺の開山塔の覆屋

慈光寺の開山塔の覆屋

銅鐘

鎌倉時代に作られた武蔵地方では一番古い銅鐘である。これも国の重要文化財に指定されている。
鐘楼は昭和時代に焼失し、平成に再建されたものである。鐘楼の近くから玄関に至る山道が作られている。自動車の場合は玄関近くの駐車場まで行ける。

慈光寺の鐘楼

慈光寺の鐘楼

慈光寺本坊の玄関

駐車場から少しのところにある鄙びた玄関が見える。

慈光寺本坊の玄関

慈光寺本坊の玄関

本堂

階段の上にあるのが本堂である。納経印はこの本堂の上がり頂くが、先ずは更に上にある観音堂を参拝してからである。
本堂の中は狭く、いろいろな仏様が祀られていた。納経印を書いて頂いている間に参拝を進められた。

慈光寺の本堂

慈光寺の本堂

観音堂

観音堂は本堂から更に山道を30〜40メートル登ったところにある。現在の慈光院ではこの観音堂が一番の高所にある建物のようだ。なお、観音堂の階段下にも駐車場があった。

慈光寺の観音堂

慈光寺の観音堂


慈光寺観音堂の装飾

慈光寺観音堂の装飾

慈光寺の納経印

観音堂を参拝したあと本堂で納経印を書いてもらった。観音堂から本堂に戻るときに国宝のレプリカの巻物が展示してある建物があった。

慈光寺の納経印

慈光寺の納経印

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コメント

  1. 兄弟サイトの自由人の備忘録にこの 都幾山 慈光寺(じごうじ)をアップしたことを表示した記事。