平野山 高蔵寺(高倉観音)

高蔵寺は千葉県の木更津にある坂東三十三観音霊場の30番目の札所となっている。横浜からでもアクアラインを利用して比較的て手軽に行けた。参拝をしたときは気づかなかったが、ネットで調べると変わった宝物を持っていることで評判になっている。

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高蔵寺付近の地図

住 所:千葉県木更津市矢那1245
この辺りは昔は辺鄙なところであったと思われるが、アクアラインが開通したことから発展し、大規模な研究都市「かずさアカデミアパーク」が開発されている。このため高蔵寺の近くまで道路網はよく整備され、高速道路を利用すれば横浜からでも1時間強で行ける。
バスの便としてはJR内房線木更津駅東口から日東交通のバスがある。草敷・高倉線で25分程度乗車。「高倉観音下」で下車。徒歩10分程度であるが、問題は利用できるバスの便が日に2〜3本しかなく、計画するのが大変なことである。

高蔵寺について

高蔵寺は、千葉県木更津市にある真言宗豊山派の寺院。山号は平野山。本尊は聖観世音菩薩で、坂東三十三観音霊場の第30番札所となっている。通称は高倉観音として親しまれている。
高蔵寺の歴史は古く、飛鳥時代の用命天皇の時代に、徳儀上人が修行を積んでいたところに老翁が現れ、古木を指さした。そこに4寸(約12センチ)ほどの観音像が安置されていたので、堂宇を建立して祭ったのが始まりとされている。
後に奈良の大仏の建造で知られている行基が巡錫して、1丈(約3メートル)の観音像を作 り、徳義上人が見つけた観音像をその頭部に納めたとされているが、行基には多くの伝承記録が残っており、真実のほどは疑わしい。
また、高蔵寺には藤原鎌足生誕に関する次のような伝承も残っている。
この地方の有力者であった矢納郷の猪野長官には40歳になっても子供に恵まれなかったが、観音様に願をかけところ一女(子与観)を授かったとのことである。
次に、子与観は20歳を過ぎ ても良縁がなかったが、「鹿島へ行きて日天を拝せよ」とのお告げがあり、その通りにしたところ、めでたく結婚でき、その後男子を産んだとのとのことである。
この男子が成人して日本の歴史における最大氏族「藤原氏」の始祖となった藤原鎌足とのことであるが、藤原鎌足の生誕に関してはいろいろな説があり、この伝承も疑わしい。また、当地と鹿島(茨城県?)の関係も不明確である。
鎌足はこの観音様の霊験や母への感謝も込めて本堂など多くの伽藍を建立したとのことである。
その当時の建物は焼失し、現在残っているのは室町時代後期から江戸時代初期にかけて再建された建物である。

高蔵寺境内

それほど広大ではないが林で覆われた岡の上にあり雰囲気のよい寺院である。駐車場の前に仁王門がある。その隣には神社があり、典型的な神仏混合の寺院であると思われる。
本堂、山門、鐘楼は木更津市の指定文化財に指定されていたが、その後、何故か取り消されている。原因は不明。

本堂

大きな88本の柱に支えられた高床式の堂々とした本堂である。床は2.3メールと高く昔は床下に馬を繋いだといわれている。
建設されたのは室町時代の末期、各地に戦国時代で活躍した有名な武将が続々と誕生していた時期とあるが、柱の土台などは新しく全体に古さをあまり感じない。その後大幅に改築されたのであろう。

高蔵寺本堂

高蔵寺本堂

山門

江戸時代初期に再建された山門である。他の札所から比べても立派な建物である。

高蔵寺山門

高蔵寺山門

鐘楼

江戸時代初期に再建された建物。隣に鳥居が見えるがこれは隣の熊野神社のもの。境内の中に同居しており、ここも昔は神仏混合などであろう。

高蔵寺鐘楼

高蔵寺鐘楼

地獄界・極楽界・観音浄土巡り

本堂が高床式であることを利用して、床下を博物館としている。

秘仏の本尊を下から拝観できたり、「観音浄土界の間」「地獄界巡りの間」「極楽界巡りの間」などの絵画等、それ以外にも、B級の展示物が多くあるようであるが、俗化し過ぎか。

高蔵寺の納経印

鳥居のそばに納経所がある。

高蔵寺納経印

高蔵寺納経印

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