ピリスのピアノコンサート感想

家内が都合が悪くなったので、神奈川県立音楽堂で開かれたマリア・ジャアン・ピリスのピアノコンサートに行った。コンサートは前半と後半を一連の大きな流れとして考え、曲間での拍手を控えて欲しいという通常のコンサートとは雰囲気の異なるもので、面白かった。

予告されていた曲目はベートーヴェンのチェロソナタ第2番、創作主題による32の変奏曲、ピアノソナタ第17番、チェロソナタ第3番であるが、当日はこのプログラムに後半のプログラムのソナタの前後に尺八古典曲の手向、虚空、山谷の一部を入れるという変わったものであった。

演奏内容を評価する実力はないが、神奈川県立音楽堂という中規模なホールでの演奏であり、端の席であったが、素人の私でもピアノ、チェロ、尺八とも満足の行く響きであった。演奏も緊張感があり、力強い演奏で、名演なのでないだろうか。

曲間で拍手しないで欲しいとの要望のため、第1曲目のチェロソナタ第2番が終わると、余韻を楽しむ間もなく、ピリスは次の変奏曲を演奏しだした。チェロ奏者のパヴェル・ゴムツィアコフは演奏を邪魔しないように抜き足差し足で舞台に置かれた応接セットまで移動して休むのである。何か舞台芸術を見ているような感覚である。

創作主題による32の変奏曲は全く知らない曲であるが、力強い演奏で良かった。一つの長い曲であるが、途中に曲想の変わるところがあり、ここが変奏の変わり目だと思い指を折って数えたが、やはり32を少し越えた辺りで演奏は終わった。普通の曲でもよく曲の途中に曲想の変わるところがあるが、まあ、見方を変えれば主題が同じであればこの部分も変奏と考えてもよいのかもしれない。

後半のプログラムになると舞台的な演出の要素が更に強くなってきた。ピアノソナタ第17番テンペストの演奏の前に先ず柿堺氏の尺八の演奏がある。チェロ奏者も最初からソファに座り待機の姿勢である。尺八の演奏が終わると殆ど間をおかず、テンペストの演奏が始まる。また、テンペストの演奏が終わると、ソファに休んでいた柿堺氏が直ぐ立ち上がり虚空を演奏し始めた。そして、その尺八の演奏中に今度はチェロ奏者と譜めくりの担当者が所定の位置にスタンバイする。尺八の演奏が終わると、ピリスとゴムツィアコフが少し確認後、チェロソナタ第3番を演奏し始めた。チェロソナタ第3番が終わると、また尺八の演奏が始まり、最後は尺八の演奏でプログラムが終了するという趣向である。

尺八は音量が小さいので基本的には静の楽器である。この点、尺八の演奏からテンペストに移るとき。テンペストの最後が静かに終わるので、テンペストから尺八の演奏に移るときは違和感がない。しかし、チェロソナタとの受け渡しについては両者の息を合わせるため、少し間が空くこと。チェロソナタが最後は盛り上がって終わるので、その後から尺八の演奏を始めるのは多少無理がある。案の定、数人が拍手を始めたが、尺八の演奏が始まりあわてて止めていた。また、その後は尺八の演奏中も少しざわついた感じとなった。そのあと5分ほど尺八の演奏を聞くのかと思っていたが、その点は考慮されており、プログラムも「山谷」よりとなっており、最後の尺八演奏は直ぐに終わった。

尺八は音量を強弱させ消え入るように音を消す演奏や、吹く強弱によって音程をスライドさせる演奏など非常にアナログ的で面白い楽器である。もっとも、尺八古典曲がそのような作りになっているのかもしれない。反対にピアノはデジタル的な楽器である。音程を変えるようなことも、途中で音量をかえるようなことはできない。チェロはその点比較的アナログ的な演奏もできるように思うが、クラシック曲では比較的デジタル的な演奏と言っていいのであろう。この表現方法が異なる三つの楽器を組み合わせるのは面白い試みであった。

しかし、聴く立場になるとプログラム全体で緊張を強いられるので、息抜きできる時間がなく、多少つらいものがある。今後、同じような試みを行なうのであれば、組み合わせる曲をよく考える必要があるでなかろうか。

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