レクチャー「ピアノの歴史」6の感想

7月14日横浜みなとみらい小ホールでレクチャーコンサートシリーズ「ピアノの歴史」の第6回目があった。今回は「ポーランドの憂鬱 ショパンとその周辺」を表題にしたレクチャーとショパンのピアノ曲とチェロソナタの演奏があった。講師は玉川大学芸術学部准教授の野本由紀夫さん、ピアノ演奏は有田千代子さん。チェロ演奏は長明康郎さんであった。

ショパンとピアノ

ショパンとその周辺ということで、当時の時代背景が説明させた。かってポーランドは共和国であり、王が選挙で選べれていた。バッハの晩年頃にはザクセン選帝候がポーランド王に選ばれていたので、バッハは「ポーランド王兼ザクセン選帝候宮廷作曲家」の称号を求め嘆願書を送っていることもある。また、ポーランドはヨーロッパで最初に憲法を制定した国であった。

軍備をあまり重視しない国であったため、列強に分割され、ショパンが生まれた頃にはポーランドはなくなっていた。そのためショパンはロシアのパスポートを持ち歩いていた。それによるとショパンは身長が170センチだそうだ。青年時代のポーランドでは復興を願う活動が盛んであった。また、国がなかったが文化の面では盛んであった。ショパンは20歳でポーランドを去るが、直後に11月蜂起が勃発し、失敗に終っている。こよにより多くの知識人がフランスに亡命し、サロンに出入し、ポーランドの文化を盛んにした。その中で音楽の中心となったのがショパンである。

ポーランドには5つのナショナルダンスがある。その一つがポロネーズである。マズルカはナショナルダンスのマズル、クヤーヴィアク、オベレクの3つを融合させてショパンが作り上げたものである。現在のポーランド国家もマズルカのリズム出来ているとのことである。

今回もう一つの主役は有田家で所有されているプレイエルのピアノである。保存状態がよく、現在もショパン当時の弦やハンマなどが使われているとのことである。

ショパンはプレイエルと現在のピアノのアクションの基になってたダブルアクションを最初に使用したエラール社のピアノをよく使用していたが、音量は少ないが、弱音の表現力に勝るプレイエルのピアノを愛していたようである。完成された音をすぐに出せるのはエラールのピアノであるが、自分の指がハンマーに直結しているような感覚で、自分だけの音を出すという目的にはプレイエルのピアノが優れていると友人達に語っていたようである。このため、ショパンは24の前奏曲集をプレイエルの製作者に捧げている。

プレイエルには第2の饗鳴板が装備されている。音量を大きくする効果はなかったが、低音の響きが強調されるなど音色的には効果はあったようである。今回はホールの響きがよいということで、使用されなかった。演奏された曲でも低音が長く残響していた。また、現在のピアノのように均質の音色ではなく、音域によって音色が異なり、多彩な表現が可能のようだ。ただし、このピアノの能力を弾きこなすには、このピアノに慣れることが必要のようであり、その点、ピアノの所有者である有田さんは最適の演奏者と思われる。

なお、エラール社が開発したダブルアクションによって、ハンマーが下がり切らないうちに次の音を弾けるようになった、早い連打が可能になった。

今回もチェロとピアノの協奏の演奏があった。チェロは古楽器ではなく現在のチェロでガット弦を張って演奏された。小ホールだとチェロは朗々と響き心地よい。プレイエルのピアノも頑張っていたが、音量的にはまだチェロに負けるようだ。しかし、多彩な音色を出してチェロとの協奏は素晴らしかった。

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